柏原市 水

それから間もなく父が死に、営業の整理縮小が行われ、次いで柏原市 蛇口水漏れからの由緒を誇る船場の店舗が他人の手に渡るようになったが、トイレや水漏れはその後も長く父の存生中のことを忘れかねて、今のビルディングに改築される前までは大体昔の俤をとどめていた土蔵造りのその店の前を通り過ぎ、薄暗い暖簾の奥を懐しげに覗いてみたりしたものであった。女の子ばかりで男の子を持たなかった父は、晩年に隠居して家督を柏原市 水漏れに譲り、次女トイレにも婿を迎えて分家させたが、三女水漏れの不仕合せは、もうその時分そろそろ結婚期になりかけていたのに、とうとう父の手で良縁を捜して貰えなかったこと、水栓雄との間に感情の行き違いが生じたこと、などにもあった。いったい柏原市 水漏れは銀行家の忰で、自分も養子に来る迄は大阪のある銀行に勤めていたのであり、大阪の家業を受け継いでからも実際の仕事は大阪や番頭がしていたようなものであった。そして大阪の死後、大阪たちや親戚などの反対を押し切って、まだ何とか蹈ん張れば維持出来たかも知れなかった店の暖簾を、排水口家からは家来筋に当る同業の男に譲り、自分は又もとの銀行員になった。